2012年12月29日土曜日

【イベントレポート】 『Fukushima_Future_Session_05~みんなで考える“ふくしまフューチャーセンター”のミライ~』を開催しました。


こんにちは。
Link with ふくしまの川島です。
先日開催したフューチャーセッション「Fukushima_Future_Session_05」について報告いたします。





今回のセッションのテーマは『みんなで考えるふくしまフューチャーセンターのミライ~』でした。2012年にLink with ふくしまが行ってきたフューチャーセッションの対話を振り返りながら、なじみの薄かったフューチャーセンターという新しい仕組みを福島で行うことの意義や、今後の展開をLink with ふくしまのスタッフも含め参加者全員で模索しようという思いのもと開催しました。

今までのフューチャーセッションは東京もしくは福島での開催でしたが,今回は福島・東京をスカイプやその他の機器を用いて中継し、同時進行でプログラムを進行しました。
東京会場は,コクヨ株式会社様の運営するKREI OPEN SOURCE STUDIOをお借りして行いました。



1223()1300から下記のプログラムにて実施したセッションの内容をご紹介します。

チェックイン:はじめに
第一部:基調講演
「社会を変えるフューチャーセンターの役割」
第二部:今年度のFukushima_Future_Sessionの報告
FFS_00FFS_05までの軌跡」
第三部:パネルディスカッション
「なぜ福島にフューチャーセンターは必要なのか」  
第四部:ワークショップ
「みんなで考える“ふくしまフューチャーセンター”のミライ」
チェックアウト:おわりに



チェックイン:はじめに

Link with ふくしま代表の菅家から私たちがどのような団体か簡単に説明し、その後チェックインとして各班3名ずつで福島には今どのような問題があるのかポストイット形式で出してそれを福島・東京で競い合いました。
一位になった班は20個近くもの問題を挙げていました!
その後自己紹介をし,参加者同士がお互いに知り合え場が温まり,いよいよプログラムの開始です。




第一部:基調講演
「社会を変えるフューチャーセンターの役割」

次に社会を変えるフューチャーセンターの役割と題しまして、
フューチャーセンターとは何か、どのような例があるのかについて、日本におけるフューチャーセンター第一人者であり、株式会社フューチャーセッションズ代表取締役の野村恭彦様より講演をしていただきました。




野村さんの講演から一部抜粋します。
「フューチャーセンターに決まった場所はない。
問題意識を持った人が集まって対話を重ねる場所がセンターとなる
関係ないと思われる物事も見方によっては他と繋がっている。
そしてそこから広げていくことによって見えていなかった新たな問題・気付きが必ずある」

私自身、フューチャーセンターというものに対して正直しっかりとした知識がなかったのですが非常にわかりやすく説明していただきとても実りある講演でした。
会場の参加者の皆様もしきりにうなずいておられて、各々がしっかりと理解できているという印象を受けました

特に私が印象に残っているのは未来思考という考え方です。

未来とは不確実性という言葉に置き換えることができます。
未来から極端な例が来るものとしてはたしてどのような行動をするのか、
常日頃は現状から未来を推測して物事を判断しますが未来からこのような事例が起きた場合にどうするか、一種の先読みのような、そんな考え方が大事だと考えさせられました。




第二部:今年度のFukushima_Future_Sessionの報告
FFS_00FFS_05までの軌跡」

我々Link with ふくしまからフューチャーセンターの具体例としての意味合いも含めて今年度どのような活動をしてきたか簡単にご報告をさせていただきました。(今までの活動報告については本ブログの「イベント報告」をご覧ください。)
今年は「ふくしまの子ども」というテーマに重点を置き、今回のFFS_05も含めると計6回のセッションを福島・東京で行いました。

各フューチャーセッションのねらいは,以下のようになっていました。
FutureSession_01 子どもに関わる多様な考え・声を聴きあう場
FutureSession_02 支援者の現状・課題を聞きあう場
FutureSession_03 (東京の)企業が何がで出来るかを考える場
FutureSession_04 地域の多様な主体が協働して何が出来るかを考える場


いままでの活動についての報告とFukushimaFutureCenterの軌跡,そしてFutureSession_05の位置付けを確認しました。




第三部:パネルディスカッション
「なぜ福島にフューチャーセンターは必要なのか」  

「何故ふくしまでフューチャーセンターをする必要があるのか」について
福島で活動をしている方,福島で復興を支援している方,そしてフューチャーセッションを作った方という3人によるパネルディスカッションを行いました。
ゲストの方は,
1部に引き続き,株式会社フューチャーセッションズ 代表取締役 野村恭彦様
FukushimaFutureSessionの今年のテーマオーナーを務めた福島で子どもたちのための活動を行っている
NPO法人 移動保育プロジェクト理事長 上國料竜太様
福島で復興の支援を行っている
NPO法人コースター(設立申請中) 代表理事
一般社団法人 ふくしま連携復興センター 事務局・コーディネーター 羽鳥圭様
です。



まず上國料様にいままでのFukushimaFutureSessionを通してどのような変化があったか述べていただきました。
「各回で素晴らしいアイデアは頂いたがすぐに変わっていったというわけではなく対話を重ねていくことで自分自身が変化をしていった。」と自己変革に関わるコメントをいただきました。

次に羽鳥様より福島にある様々な問題を紹介していただき、その中でもどれがフューチャーセンターに向いているかと投げかけたところ、「より多くの人が関わっている広域避難という問題についてはフューチャーセンターが求められているのではないか」とご意見をいただきました。















また羽鳥様へ「個人的にフューチャーセンターをするのならばどんなテーマにか」と進行の菅家が尋ねたところ、「様々な問題に対処する中で人材育成という面で活用していきたい」とお答えでした。 

最後に野村様より講評を頂きました。
野村様は「人材育成とはまさに社会問題に取り組むプロセスによって人財は育成される。
教育そのものにするとわからなくなることが多い。フューチャーセンターを活用して
取り組んでいってほしい」とお言葉をいただきました。





第四部:ワークショップ
「みんなで考える“ふくしまフューチャーセンター”のミライ」

最後に「みんなで考える“ふくしまフューチャーセンター”のミライ」と題し
ワークショップを行いました。

このワークショップでは参加者一人一人が主人公となり自分がここまで話を聞いてきてどう思ったか、最初に自分が持ってきた問題にフューチャーセンターはどのようにつかえそうか、またそこでフューチャーセンターを使うことでどのようなメリット、デメリットが生まれそうか、そしてそれを踏まえてのスマートな一歩を踏み出すためにどのようなアプローチをしていくのかを話し合いました。



各テーブルで熱く濃密な対話が行われました。私自身も参加者としてとても面白く、他の参加者の考えや様々な切り口でフューチャーセンターが使えることを知り,発見が数多い反面,自分自身がまだまだ未熟だなと感じました。





さまざまなテーマがあるなか,テーマオーナーを募集しそのテーマについて班で話し合いました。
東京会場
「福島の問題を世界に発信するためのFutureCenterとは」
「福島の農産物に関して多様なステークホルダーと問題を解決するには」
「福島県のコミュニティ内の軋轢を解消するFutureCenterとは」
「福島県外から多様な主体と福島を支援するためには」


福島会場
「郡山にFutureCenterを作るには」
「福島にいない人が福島に関わっていくには」福島×関西×FutureCenter
「もやもやしているものを課題としてFutureCenterで扱っていくには」
「避難者の届かない生の声を聴き,その課題を解決していくには」

その最後には東京・福島を繋いで各テーマオーナーが発表をし全体共有をしました。
限られて時間で,思いを共有するのは大変でしたが同時進行し,時間を東京と福島で共有できたおかげて,両会場の参加者が近くに感じられました。









チェックアウト:おわりに

チェックアウトでは今日感じたことを一言で紙に書き全員で輪になって発表しました。
私は希望と書かせていただきました。



野村氏の話でも出たように未来とは不確実なものでありなにが起こるかは想像はできない。
しかしそこでどんな問題が起こってもフューチャーセンターをうまく活用すればその未来を希望に満ちたものにできるのではないかと今日一日を通して強く思ったからです。

そしてまた私がそこの発表で感じたのは参加者皆さんが全員目をキラキラさせて発表をしている光景でした。

今日感じたことを周りのみんなに伝えたい。
考えるだけではなくて実際に行動に移す。
またこのような機会があればぜひ参加したい。

まぎれもなく私の前に広がる輪はそれはもう希望だったと言えます。


最後に
今回開催にあたり会場提供をしていただいたコクヨ株式会社様に感謝を申し上げるとともに、年末のお忙しい中ご参加いただいたゲストの皆様、参加者の皆様にも心より感謝を申し上げます。FukushimaFutureSession_05を一緒に作り上げてくださった皆様、誠にありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。 



2012年12月12日水曜日

【イベントレポート】 『第二回ふくしま未来ミーティング』 分科会① (前半戦)


皆さん、こんにちは。Link with ふくしまの福島スタッフ、福島大学二年の熊谷慎平です。
分科会①でパソコンをカタカタ叩いていたスタッフが僕です。

 
僕からは、午後に行われた分科会①「福島の屋内遊び施設の今後の展望を考える」で、どんなことが行われていたか、という説明とそこに自分が思ったこと、感じたことを絡めていければと思います。

 


13:00から行われた分科会①は、丸くなったイスの状態から自己紹介が始まりました。

 

名まえ、所属、そして今日自分が大切にしたいこと。
 
自分は、ここを挨拶程度で考えていたのですが、そこにいる参加者から出てくる言葉は聞き流していけるほど簡単なものではありませんでした。
 
「福島の子ども」、「子どもの遊び問題」に対して真剣に向き合い、そして実際に行動している人たちがたくさんいました。
 
そんなスペシャリストが多くいる中、どんな「カタチ」でこの分科会①はできていくのだろうというワクワク感と、タイピングの遅いために話の密度が濃い話を記録していけるかという不安な気持ちの二つの気持ちがありました。

 

この分科会①司会進行役であるリンふく代表の菅家から、参加者の皆さんは次のことを大切にしてほしいとお伝えしました。

それは、
じぶんを大切にして、立場を分かりながらも縛られずに発言して発想を豊かにしようー
ということでした。
 
これがあったからこそ、これからに繋がっていったのかなと振り返ると感じます。

 

最初のテーマは、「こどもの遊びについて再考する」でした。
 

席が隣の人と二人組になって、
【自分たちが子ども時代の時ってどんな遊びをしていたかな?】
という問いに対してさまざまの年齢層の人たちが自分の子ども時代に戻って話している姿は、目がキラキラしており、見ていて自分も楽しくなっていました。
 

場全体の雰囲気が和んできたところで、
次に【自分たちが子ども時代の時ってどんな遊びをしていたかな?】
という問いに対して45人組の島になって話してもらいました。
 
そのなかで自分がとても印象的だったのが、“寄り道”のお話でした。
 
下校途中ってまっすぐ家に帰ることがなかったよね、川で遊んで泥んこになっていつも帰っていた気がするな~と話していることに僕はうんうんと頷いてばかりでした。
 
自分も子供のころ、ダメだとわかっていても家に帰らず、下校して直接友だちの家に上がったりしてばっかりでした(笑)

 
 

そんな問いから、徐々に本題である「こどもの遊びについて再考する」へ移っていきました。
先ほどの45人組からできた島ごとのその本題に対しての答えがどこもなんとなく似ており、まとめると、以下のようになります。


遊び」というものは、そもそも子どもたちが生み出していくものであって、大人が手を施して生み出すものではない

そうだからこそ、私たち大人がルールや規制で子どもを縛り付けないことが自由を生み出して子どもの遊びに繋がるんだと思う。

 

一つの区切りを感じたところで、休憩タイムにはいりました。

 

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最初に予感した通り、濃いお話でした。この休憩タイムに入ったのが、14:40からなので、およそ100分でしたが、頭を使いすぎて疲れていました。これから、乗り切れるのかという最初とは別の不安を抱え後半戦に突入します!!
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ここで、分科会①「福島の屋内遊び施設の今後の展望を考える」のブログの前半戦も一旦区切りをつけさせていただきます。
 
このブログを読んでいる方にも今の「子ども遊びの現状」をわかってもらいたいと思い、細かく具体的に書かせていただきました。
 
後半戦はこの前半戦を受けて「福島の子ども」をよりフォーカスして「福島の子どもにとって必要な遊び環境ってなんだろう」ということについて書いていきたいと思います。
 
では、後半戦もよろしくお願いします!!